仕込み作業場の片付けに一息つき、西の蔵事務所で休んでいると、シートの壁の向こうで人の気配が。
「こんにちは、見学ですか?」と私管理人が声を掛けると
「いやー、懐かしいね。ちょっと見学させてもらっていいですか?」
と老夫婦が立っておられました。
「そうそう、この搾り機で搾った酒を、そこの壁の向こうで瓶詰めしていたんだよ」
と旦那さんが奥さんに説明されます。
そこで
「あのー、枝梅のことをご存知ですか?」
と声を掛けると
「自分は、ここの敷地内に住んでいたんですよ」
と思いもかけない返事が。
「えー!というと枝梅さんのご親戚ですか?」
「はい、自分の祖父さんがここで酒を造っていました」
との返事。
なんと、枝梅酒造の創業者、塚原喜六さんのお孫さんでした。
小さい頃に佐賀を離れられ、それ以来のようでした。
それから、北の蔵を案内すると
「そうそう、板粕をタンクに詰め、置いておくと柔らかくなる、それを袋に詰める手伝いをしてたなあ。それと、確か板粕に籾殻を入れて焼酎も造っていたなあ」
と懐かしそうに蔵の中を歩いて行かれました。
収蔵庫の中も感慨深げに見られていました。
仕込み作業場では
「ここの二階で杜氏さんたちが寝泊まりしてましたよ。何人ぐらいだったかあ?」
と思いをはせながら、東の蔵に入られました。
東の蔵を今年、NPOで修理したことを説明すると喜んでもらいました。
麹室の中は、あまり記憶がないとのことでした。
おそらく入らせてもらえなかったのではないでしょうか。
それから、広場に出ると
「このあたりには、作業小屋がいくつかあって、その向こうには屋根でつながった通路があったよね」
「はい、そうです。佐賀市のリニューアル工事のときに壊されました」
と私管理人。
「その先に瓶詰め機械があって、その向こうに倉庫が並んでいて、そのあたりに自分たちは住んでいたんですよ。もうないんですね」
としばし立ち止まられていました。
そうこうするうちに、昼になったので《酒の蔵えん》で食事をしていただきました。
食事の後、母屋を案内すると
「この廊下の先には、お風呂がありましたよね、手前にトイレがあって。確か、自分たちはその風呂に入っていましたよ」。
そうなんです、今はありませんが昨年の工事の前までは確かにありました。
それから、廊下の先の壁にかけてある枝梅酒造の社是の額を感慨深げに見終わると
「俺の祖父さん、たいしたものだねえ」
と一言。
最後に、事務室で残っていた写真を見せると。
「ちょっとまって、これは、〇〇ちゃん、こっちは〇〇さん。いやー、懐かしいね」
と旦那さん。
「私もわかるわ」
と奥さん。
実を言うと古い写真なので、誰に聞いても今まで写真の人が誰かわかりませんでした。初めて写真の人の名前がわかりました。
今回お二人は、佐賀のある人から呼ばれて、その用事で佐賀まで来られたそうです。
その時、枝梅の話が出て、じゃあ行ってみようかと、お二人で来られたということでした。
たまたま、管理人が蔵の入口の戸を開けっ放しにして、誰でも入れる状態にしていたのが幸いしました。
今日の素晴らしい出会いに感激です。