旧枝梅酒造を再構築する基本計画
「EDAUMEプロジェクト」
その1《EDAUME Story 》
【season1】枝梅酒造「Edaume Brewery」
「佐嘉城下町竃帳」によると1854年(嘉永七年)八戸宿新宿で足軽身分の下村家が造り酒屋を始めたとある。その当時、八戸宿はその近くに築地反射炉、多布施反射炉があり、今でいう重工業地帯の周辺だったと考えられる。
幕府や他藩から大量の大砲の注文を受け両工場は最盛期に入った頃であり、ここの周辺には工場で働く人、物品を納入する人、運搬に関わる人など多くの人たちが集まっていたことであろう。当然、酒の重要が高まり下村家はこの場所で造り酒屋を始めたと想像できる。
時代は明治に変わり、1887年(明治二十年)現在の塚原家が下村家から事業と土地を買い取り「塚原酒造場」を創業した。
1907年(明治四十年)佐賀市久保田で元禄元年(1688)から造り酒屋を営んでいた「窓乃梅酒造」の古賀家三男・虎三郎が塚原家と「塚原酒造場」を相続した。
しかし、虎三郎が急逝したため古賀家の四男・喜六が塚原家を相続し窓乃梅分家「枝梅酒造」を創業した。
窓乃梅の分家、これが「枝梅」の由来だ。
1920年代、県内で金融破綻が相次ぐ頃、「枝梅酒造」は事業を拡大し、酒蔵を大きくしていった。
1950年代、創業者の塚原喜六が亡くなった頃「枝梅酒造」は、県内で二番目の生産量を誇っていた。
1970年代、日本酒離れや焼酎ブームの到来もあり、酒造りが斜陽化していった。「枝梅酒造」も同じであった。
1990年代、ついに「枝梅酒造」は醸造事業を停止し、長崎街道沿いの店舗で酒の販売だけを続けた。
だが醸造場の酒蔵を取り壊すことはなかった。
2009年、四代目の喜一郎の急逝によって「枝梅酒造」の時は止まった。
【season2】苦悩と行動「Trouble and Activity」
「枝梅酒造」は江戸時代からの造り酒屋の形をほとんど残し、旧佐賀城下に残る唯一の造り酒屋跡として眠りに着き「旧枝梅酒造」となった。
そして時が止まった酒蔵は、急速に老朽化が始まった。
事業の後継者もなく、ただ所有者として残された塚原家は、その規模の大きさからどうしようもないまま時は過ぎていった。
この場所は、長崎街道に面しており佐賀城下長崎街道の「のこぎり型家並み」として特徴的な場所だ。
2011年、地元の八戸町自治会がその場所と建物の歴史的な重要さを認識し、保存活動を始めた。
2014年、「さが長崎街道まちづくり実行委員会」が、ここ「旧枝梅酒造」でシンポジウムを開催した。
それには二日間累計500名以上の人々が集まった。
佐賀藩・鍋島家の15代当主も駆けつけた。
2015年、佐賀市役所は、長崎街道に面した母屋・店舗・精米所・倉庫だけを買収した。そして、そこをリニューアルすることを決定した。
2016年、佐賀市が買収した部分のテナントに「株式会社とっぺん」が決定した。
だが、醸造場として一番重要な酒蔵部分は、そのまま私有地として取り残された。
2016年、それまで「旧枝梅酒造」の保存活動に関係していた者たちが、粘り強く所有者と協議を続けた。
2017年2月、近くの日新小学校3年生が旧枝梅酒造に郊外授業で見学に来た。
2017年9月、旧枝梅酒造所有者の了解のもと、ボランティアが集まり酒蔵部分の片付け作業を開始した。
2017年11月、所有者との協議がまとまり「旧枝梅酒造」の醸造場部分が保存されることになった。
そのために、我々は「NPO法人まちの根太」を設立した。
そして「旧枝梅酒造」の所有者である枝梅酒造株式会社(事業停止中)は「NPO法人まちの根太」に残された三棟の酒蔵を寄付し、所有する土地の管理を委託した。
【season3】活動と計画「Activities and planning」
2017年12月、我々は「旧枝梅酒造」の再構築に向けて活動を開始した。
「旧枝梅酒造」の西の蔵に作業場を設置し活動の拠点とした。
同時にそこに残されていた貴重なものを収納するため、西の蔵内に収蔵庫を作った。
2018年1月、日新小学校3年生が旧枝梅酒造に郊外授業で見学に来た。
地元自治会の皆さんと一緒に「NPO法人まちの根太」として旧枝梅酒造の中を案内した。
また、佐賀大学大学院都市工学専攻2017年度地域デザイン演習の公開講評会が旧枝梅酒造で開催された。
そして、2月に始まる佐賀市の母屋・精米所・倉庫内の改修工事に伴い、我々は、片付けワークショップを開催し、残されていた重要な物を西の蔵収蔵庫に移した。
2018年2月、佐賀市所有部分のリニューアル工事が始まった。
我々も所有することになった醸造場部分の再構築計画をスタートした。
だが、その前に老朽化と戦うこととなった。
建物はもちろん、残されていた醸造用の道具や機械を雨漏りから守らなければならなかった。
2018年3月、相変わらず我々は、醸造場部分の片付け作業に追われた。
2018年4月、片付け作業に追われながらも、ようやく我々の「旧枝梅酒造再構築計画」が進み始めた。
2018年5月、我々の「旧枝梅酒造再構築計画」がまとまりだしてきた。
・長崎街道は歴史の道だ
・その歴史とその地域とともに旧枝梅酒造は続いて来た
・我々はそれを引き継ぎ次のステージへとつなぐのだ
・我々は民間の組織だ
・できるだけ民間の資金で「旧枝梅酒造」を再構築するのだ
・ここで収入を得て、この歴史的な場所と建物を次世代に繋げられるように維持していくのだ
しかし、我々の資金計画は困難を極める。
再構築計画での費用は莫大なものになっていた。
佐賀の田舎の民間組織でできるのか・・
【season4】我々が再構築する「We will rebuild it」
2018年6月、我々の計画がまとまった。
「EDAUMEプロジェクト」だ。
そのブランドとロゴも決まった。
「EDAUME」我々は、この名前で進んでいく。
旧枝梅酒造の中央広場を「EDAUME」の中心と考えて醸造場にこだわらない再構築プロジェクトだ。
・歴史的な場所は誰もが訪れたいと思わせる潜在的な可能性を秘めていると信じる
・継続して営まれた歴史的なストーリーに人々は引きつけられる
・我々はその空間にクリエイティブなストーリーを創造し誘惑し続けるのだ
「EDAUME」の目的は《受け継いだ旧枝梅酒造を次のステージにつなぐこと》
「EDAUME」の概念は《EDAUMEはクリエイティブな街》
「EDAUME」の信念は《歴史的な空間は人々を誘惑する》